どうもこんにちは! NPO法人地域知見LIVE 理事長の 筧田 聡 です。
なんでエスカレーターって、1列になってしまうんだろう。
ある人の言い分は、こうです。並べばすぐ後ろに詰めてくるし、構わずぶつかってもくる。距離を気にしない日本人が、なぜ横に立つことだけは嫌がるのか。ルールにうるさい日本人が、なぜ2列だけは頑なに拒むのか。しかも名古屋では、2列ができているらしい。
調べてみると、この2つの「なぜ」は1本の線でつながり、しかも日本だけの話ではありませんでした。今回は、駅でいつも見ているあの光景を、名古屋の調査データと世界7都市の動きまでたどったお話です。
先に答えを言うと
2列を嫌がる人は、私たちが思うほど多くありません。多くの場合、それはそれぞれの頭の中にいる「ほかの人」でした。
日本エレベーター協会のアンケートでは、エスカレーターの歩行は「やめたほうがいい」と答える人が9割を超えています。それでも片側が空くのは、「ほかの人は空けてほしいはずだ」と、それぞれが読み違えているから。名古屋は、罰則のない条例でこの読み違いを書き換えました。そして、片側空けをやめさせようとした世界の街も、そろって苦戦しています。
通説|片側空けは、せっかちな日本人の文化
- 関東は左、関西は右。片側空けは、急ぐ東日本の気質
- 1970年の大阪万博で、海外から入ってきた
- 日本人は距離を気にしないくせに、横に並ぶのだけは嫌う
- 日本人はルールを守る国民性。決まりさえ作ればそろう
- 片側空けは、日本独特の文化
起源|大阪は呼びかけ、東京は自然に始まった
片側空けは、東日本の気質から生まれたものではありません。大阪の駅が呼びかけ、東京では20年あまり遅れて自然に始まりました。
文化人類学者の斗鬼正一さん(江戸川大学名誉教授)によると、最初は1944年ごろのロンドン地下鉄。日本初は1967年ごろの阪急梅田駅で、「急ぐ方のために左側をお空けください」と呼びかけました。大阪万博の3年前です。東京は1989年ごろ、営団千代田線の新御茶ノ水駅で、アナウンスなしに利用者の間から始まりました。
距離|気にしているのは隣ではなく、後ろ
日本人が求める距離は、少なくともイタリア人より広い。気にしているのは隣の人より、後ろから上ってくる人です。
2025年の大阪・関西万博とローマのイベント会場で、日本人92人とイタリア人92人に、VRのカフェで「心地よい距離」まで相手を動かしてもらった研究があります。距離を広く取ったのは、日本人のほうでした。
では、並ぶと詰めてくるのはなぜか。混んだ場所では、知らない人を「人」ではなく「風景」として扱うモードに切り替えているのだと、私は見ています(おそらく、です)。右に立つと、この切り替えがききません。右に立つ人は、急ぐ人の道をふさぐ側に回るからです。乗りものニュースが777人に聞いたアンケートでも、片側を空けて立つ人の45.9%が、その理由に「歩く人がいることが想定されるから」を挙げ、自由回答には「トラブルを避けるため」「同調圧力」という声が複数ありました。
「人に迷惑をかけるな」は、かける側が我慢する考え方です。だから、見える迷惑(急ぐ人の邪魔)は避け、見えない迷惑が残ります。片側の手すりにしかつかまれない人。そして朝夕のホームの中ほどまで伸びる、片側だけの行列です。
ルール|守っているのは呼びかけではなく、空気
エスカレーターの上で私たちが守っているのは、書かれた呼びかけより「ほかの人はこうしてほしいはずだ」という、その場の空気でした。
呼びかけは、とっくにあります。日本エレベーター協会は2020年度から「歩かず立ち止まろう」と呼びかけ、2026年夏のキャンペーンには全国の鉄道事業者58社局が名を連ねました。それでも、協会のアンケートで「歩行してしまうことがある」と答えた人は60%います。
なぜ動けないのか。大阪大学の今井大智さんの卒業論文(2023年度)が、そこを突いていました。1都3県の人に聞くと、人々は「ほかの人は両側に立つことを嫌がっている」と読み違えていました。条例のない東京・神奈川・千葉では、「ほかの人は歩くことを受け入れている」という読み違いもありました。そしてこの読み違いが、歩くことを後押しし、両側に立つことを妨げていた、というのです。
心理学で「多元的無知」と呼ぶ状態です。本当は多くの人が同じことを考えているのに、「ほかの人は違うはずだ」と思い込み、誰も最初の一歩を踏み出せない。横に立たないのも、2列を拒むのも、相手は同じ「想像の中の他人」でした。
世界|どの街もやめさせたいのに、やめられない
片側空けは、日本だけの癖ではありません。そして、歩く人を2割から5%まで減らしたと数字で示せている街は、私が調べた範囲では名古屋だけでした。
| 都市 | 公式の動き | その後 |
|---|---|---|
| ロンドン | 2015年、ホルボーン駅で両側立ちを試行。運べる人数は約30%増 | 行動が変わったのは職員がいる間だけ。常設は見送り |
| トロント | 2007年、「右に立ち左を歩け」の標識を撤去(歩行を勧めるのは安全でないため) | 撤去から10年後も「暗黙のルールは健在」と地元誌 |
| ワシントンDC | 2017年、地下鉄トップが「右に立ち左を歩く習慣はエスカレーターを傷める」と発言 | 左に立つ人を指す「エスカレフター」という言葉まである |
| 香港 | 2015年「立ち止まって歩かない」、2024年11月「両側に立つ」キャンペーン(同年1〜9月の事故430件) | 2026年7月も新しい標語で呼びかけ中 |
| 中国(上海・南京・広州・北京) | 北京五輪・上海万博で「左行右立」を推奨→2012年以降、各地で推奨を取り下げ。上海地下鉄は2019年に歩行・走行を禁止 | 広州地下鉄では約95%のエスカレーターで右側の摩耗が激しかった |
| 韓国 | 2002年のW杯で1列立ちが定着→2007年に政府が2列立ちを推進→2015年に公式に中止 | 2026年、11年ぶりに2列立ちを再推進 |
| 台北 | 2024年10月から両側立ちを呼びかけ | 掲示が出ても大半は右に立ったまま。2026年9月に再び呼びかけ |
並べると、2つのことが見えます。
ひとつ。韓国でも中国でも、片側空けはW杯・五輪・万博という「世界に見られる」イベントを機に、「国際マナー」として広まりました。そして本家のロンドンでさえ、両側立ちを試したあと、定着はさせられていません。
もうひとつ。標識を外したトロントでも、8年呼びかけた韓国でも、片側空けは消えませんでした。香港と台北は今も呼びかけの最中です。台湾のネット掲示板には、名古屋の「なごやか立ち止まり隊」を見て「北捷(台北メトロ)は名古屋の宿題を写してくれ」と書き込む人まで現れました。
名古屋|罰ではなく「立っていい」という許可証
名古屋の条例は、取り締まりではなく、右に立つ人に理由を渡す仕組みとして効きました。
2023年10月施行、罰則なし。第8条はこうです。
利用者は、右側か左側かを問わず、エスカレーターの踏段(人を乗せて昇降する部分をいう。)上に立ち止まらなければならない。
市が駅や商業施設など約10か所で、目で数えた結果です。
| 調査時期 | 歩く・走る人 | 右側に立つ人 |
|---|---|---|
| 2022年4〜5月(条例の前) | 21.3% | 7.6% |
| 2023年11〜12月(施行の直後) | 7.3% | 15.8% |
| 2024年6〜7月 | 6.7% | 23.9% |
| 2026年6〜7月 | 4.9% | 25.2% |
効いたと考えられるのは3つです。
- 条文に「右側か左側かを問わず」と書いた。今井さんの研究では、名古屋の条例は「ほかの人は両側に立つことを受け入れている」という見方を広げ、両側に立つ人を増やしました。書き換えたのは一人ひとりの考えより、「ほかの人の考え」の読み方です
- 立ち止まる側に理由を渡した。条例前の意見募集には「条例ができれば気兼ねなく立ち止まって利用することができる」という声が寄せられていました。右に立つ人は、空気を読めない人ではなく、条例どおりに乗っている人になりました
- 現場に人とAIを置いた。黄色い手のひら形のボードを背負った「なごやか立ち止まり隊」が右側に立ち、歩く人をAIで見つけて声をかける「エスカレーター見守り君」で、伏見駅では歩く人が半分に減りました
名古屋市の担当者は、決められたルールを率先して守る土地柄がもともとあるのかもしれない、と話しています。ただ、条例前の名古屋も、右に立つ人は7.6%しかいませんでした。先に条例を作った埼玉県も、左右両側に立ち止まることを「新しい思いやりのマナー」と呼び、急ぐ人より片側の手すりにしかつかまれない人への思いやりを、と駅前で呼びかけ続けています(埼玉は自己申告の調査、名古屋は目視の調査なので、数字は並べていません)。
で、結局どっちなの?
| よく言われる説明 | 調べて分かったこと | どっち向きか |
|---|---|---|
| 東日本の気質 | 呼びかけは大阪が先。条例前の名古屋も片側空け | 違う |
| 大阪万博がきっかけ | 日本初は万博の3年前 | 違う |
| 距離を気にしないのに横だけ嫌う | 距離はイタリア人より広い。気にしているのは後ろの人 | 半分違う |
| ルールを守る国民性 | 9割が歩行は「やめたほうがいい」と答え、6割が「歩行してしまうことがある」 | 違う |
| 日本独特の文化 | ロンドンも韓国も香港も同じ壁 | 違う |
片側空けを支えているのは、気質でも国民性でもなく、「たぶん、ほかの人は」という読み違いです。だから書き換えられる。名古屋は、それを数字で見せました。
残る問い|歩く人は消えたのに、右側はまだ空いている
名古屋の右側は、2024年から4人に1人のまま、ほとんど動いていません。歩く人は20人に1人まで減ったのに、です。後ろから急ぐ人が来なくなっても、空いた右側へ一歩踏み出すには、まだ何かが足りない。冒頭の「横に立つのを嫌がる」は、少しだけ当たっているのかもしれません。
いつか朝の駅で、右の手すりを握った人が、後ろを振り返らずに上っていく。名古屋では、その光景が少しずつ増えています。
みなさんの街のエスカレーター、右側は空いていますか?
おまけ|ワシントンには「左に立つ人」を指す言葉がある
ワシントンDCの地下鉄は、北米で最も多い618台のエスカレーターを持ちます。そこで左に立つ人は「エスカレフター」と呼ばれます。2019年には地元の観光団体が、観光客のように左に立って、肩の力を抜こうと、あえて住民に呼びかける広告まで作りました。空気は、名前がつくほど掟に近づくのでしょう。
「名古屋で驚いた」「うちの駅は右も埋まっている」。みなさんの街の様子を、ぜひ聞かせてください。
ご意見・激励等ございましたら、気兼ねなくおっしゃってください!
ご覧いただきありがとうございました。
阿見町の筧田がお送りしました。
参考資料
- 名古屋市「名古屋市エスカレーターの安全な利用の促進に関する条例」条文(第8条・罰則なし)
- 名古屋市「エスカレーターの利用実態把握調査」(2022〜2026年の推移)
- 名古屋市 報道発表(2026年の利用実態調査・エスカレーター見守り君の効果)
- 名古屋市「『エスカレーターの安全な利用の促進についての基本的な考え方』に対する市民意見の内容及び市の考え方」令和5年2月(気兼ねなく立ち止まれるという声。市サイトの再編で現在は非掲載)
- All About「名古屋は『エスカレーター立ち止まり利用』先進国?」(なごやか立ち止まり隊・名古屋市担当者の見立て)
- 今井大智「エスカレーターでの歩行・両側停止における多元的無知の生起と条例の効果」大阪大学 卒業論文 2023年度
- 埼玉県「エスカレーターの安全利用について」(新しい思いやりのマナー)
- 日本エレベーター協会 報道資料 2025年10月14日(歩行はやめたほうがいい90%超・歩行してしまう60%)
- 乗りものニュース「『エスカレーター歩かない・歩くべきでない』変化した人々の意識」(2020年度から「歩かず立ち止まろう」キャンペーン)
- 福岡県「エスカレーターの安全利用にご協力ください」(2026年7月21日〜8月31日のキャンペーン・鉄道事業者58社局)
- 江戸川大学 特集「あける」斗鬼正一(起源=ロンドン1944年ごろ・梅田1967年ごろ・新御茶ノ水1989年ごろ)
- 乗りものニュース「『エスカレーター歩くな』まもなく条例に 実際どう乗るか聞いた」(777人アンケート・理由45.9%)
- 東洋経済オンライン「効果ある?『片側空け』防ぐエスカレーターの性能」(片側だけの行列)
- Lisi MP, et al.「Virtual proxemics “in the wild”: a cross-cultural comparison between Japanese and Italian adults recruited at public fairs」Computers in Human Behavior(日本人の方が広い対人距離)
- Transport for London「Report on Holborn Pilot for Standing on Both Sides of Escalators」2016(約30%増・職員がいる間だけ)
- CIBSE Journal(ホルボーン駅の常設見送り)
- The Globe and Mail(トロント2007年の標識撤去)
- TTC Customer Town Hall Meeting 2012年11月15日(標識撤去の理由)
- Spacing Toronto「Stand right, walk left: the escalator algorithm」2017年5月2日(暗黙のルールは健在)
- NBC Washington「Please Stand on Metro Escalators, General Manager Says」2017(トップの発言)
- NBC Washington「Stand on Left Side of Escalator, DC Tourism Campaign Says」2019年12月10日(エスカレフター・Destination DCの広告)
- Fu MC「Escalator Etiquette: Stand or Walk? A Systems Analysis」Systems, 2024(ワシントン地下鉄のエスカレーター618台)
- SCMP「Stop walking on escalators」2015(香港の2015年キャンペーン)
- The Standard「MTR commences stand on both sides of escalator campaign」2024年11月8日(事故430件)
- TVB News「MTR’s latest escalator safety campaign highlights Hold On, Stand Still」2026年7月8日
- ifanr「为什么现在乘电梯不提倡”左行右立”了?」2018(北京五輪・上海万博での推奨)
- 環球網「冲上热搜!多地早已叫停扶梯左行右立」(上海2012年・2019年禁止)
- AFPBB「エスカレーター『片側空け』を廃止へ 広州地下鉄」(右側の摩耗95%)
- YTN 2026年4月23日(韓国の1列・2列立ちの年表・2026年の再推進)
- 世界日報 2026年8月27日(2015年中止・11年ぶりの再推進)
- 工商時報 2025年6月8日(台北メトロ 2024年10月から両側立ちを推進)
- 遠見 城市學 2024年11月15日(掲示後も大半が右に立つ)
- 遠見 城市學 2026年9月19日(台北メトロの再呼びかけ)
- 聯合新聞網 2025年5月29日(台湾の掲示板「名古屋の宿題を写して」)
















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