茨城県土浦市で開催
通称:土浦の花火
全国の花火師が一堂に会し、優勝をかけてその技術を競う花火大会
秋田の大曲と並ぶ二大競技花火大会の1つ
※日本三大花火大会・日本三大競技花火大会の1つ (唯一大都市圏での開催)
2万発 (最低保証量) の競技花火・余興花火が夜空を彩る
70社が出品
周辺人口に加え、交通の便も良く、毎年80万人の見物客が訪れる
打ち上げ時間は例年18時〜20時半
土浦市&大会実行委員会による余興花火「ワイドスターマイン 土浦花火づくし」は打ち上げ区域全体を利用して打ち上げる
雨天でも開催
てか大会前後の天候含めるとほぼ毎年雨天。
雨天決行は本来の目的である花火審査に影響しかねないこともあり問題視されている
当日の流れをサラッと。
17:45 プレ打ち上げ
18:00 開始
19:00 市長挨拶後、スターマイン
競技花火の見どころ
プログラムの流れは、10号玉、創造花火、スターマインを各2〜5出品者ずつ打ち上げ、これを最後まで繰り返す
10号玉の部 ▷ 中小企業庁長官賞
菊型花火の場合 ▷ 親星・芯星の正円さ、星の配列、鮮明度
高度な技術を要する多重芯 (三重芯以上) による表現・曲導の良さ
創造花火の部 ▷ 茨城県知事賞
打ち上げのタイミング・星の配色・鮮明度
多彩な変化、創作性・独創性・新技術
スターマイン (速射連発花火) の部 ▷ 経済産業大臣賞
色彩・鮮明度、打ち上げのリズム・間
内閣総理大臣賞
2000年 (平成12年) から3部門の優勝者の中から煙火技術向上に貢献し、観る人に感動を与えたと認められる最も優秀な1作品に授与される
日本煙火協会が後援し、かつ内閣総理大臣賞が与えられる花火大会は、全国で大曲と土浦の2大会のみ (内閣総理大臣賞は両大会とも2000年 (平成12年) 〜)
内閣総理大臣賞は全国の花火師の目標となっている
大曲の花火との兼ね合い
土浦の花火は……
約70社がそれぞれスターマイン、10号玉、創造花火の部門に分かれて出場し、種目別技術日本一 (Specialist) を決める大会
大曲の花火は……
選抜された28社が、3部門の全てに出場し、夜花火の2部門で総合評価によって総合力 (Generalist) を決める大会
土浦の花火大会の歴史
1925年 (大正14年)
新治郡土浦町 (現:土浦市文京町) の神龍寺住職秋元梅峯が私財を投じて、霞ヶ浦海軍航空隊と親交が深く「関東大震災後の復興」と「航空殉職者慰霊」を目的に霞ヶ浦湖畔の埋立地で花火会を開催したことが始まり
※関東大震災は1923年9月に発生 ▷ 土浦の花火は2年後に開催
※土浦は大きな被害を受けていないが、土浦に多くの避難民が来ていた
※神龍寺は境内にテントを張り、1日300人を宿泊させた
※避難民は9月〜12月までで2000人以上
当初は9月開催
実りの秋を祝い、「農民の勤労を慰める」という意味もあった
第二次世界大戦による中断
1946年 (昭和21年) に土浦市と土浦煙火協会が主催となり再開
GHQの許可を得て桜川河畔で第14回を「全国花火競技大会」として開催
住職の財産が無くなると共に中止が検討された
日本煙火工業会 (現:日本煙火協会) の会長を務めた北島義一が出品者確保・入賞者に贈る賞の設立で大会運営に尽力し、日本三大花火の1つとなった
1959年に「速射連発の部」を設け、仕掛け花火の一部として見なされていた速射連発花火が独立した分野として扱われるきっかけを作った
1971年〜
現在の桜川にかかる学園大橋付近の開催
開催日は原則10月第1土曜日に
1988年 昭和天皇の病状悪化に伴い自粛
1992年 (平成4年) 第61回より名称を「土浦全国花火競技大会」に
※1946年から半世紀近く大曲の花火と同一名「全国花火競技大会」だった
2015年
土浦市役所新庁舎開庁記念 ▷ 打ち上げ総数を25,000発に
するものであり、実際には量が数千程度増加することもある。
詳しくは……大会の歩み|土浦全国花火競技大会を参照のこと
※大会の歩みには記載がありませんが……
2018年10月6日に開催された大会では、スターマインの一部が落下、地上付近で破裂し、見物客10人が軽傷を負った
花火大会は事故および強風のため途中で打ち切り (中止) となった
2019年の特徴
打ち上げ会場に風速計を設置するなど安全面を強化
10月上旬は茨城国体の期間中でもあり警備が困難とのことで、大会を3週間遅らせ茨城国体終了後の10月26日に開催
地元茨城の有名な花火会社
野村花火工業株式会社 (水戸市)
実績 ▷ 18回目の内閣総理大臣賞受賞
【土浦全国花火競技大会メモ】
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