どうもこんにちは! 阿見町議会議員の 筧田 聡 です。皆さんは、「議場に入るとき、なぜ一礼するのか」を気になったことありませんか? 私は気になったので、先輩に質問したところ…… 人によって認識が異なっていました(汗) そこで今回のお題です。
議員になってから気づいた、議会の「当たり前」
議場に入るとき、一礼する。
議員になってから、当たり前のように目にする所作です。
私も、礼は大事だと思っています。議場は、私的な雑談の場ではありません。住民から負託を受けた議員が集まり、町の予算、条例、政策、将来に関わることを議論する場です。そこに入るとき、軽く頭を下げる。そのこと自体に違和感はありません。
ただ、気になったことがあります。
この一礼は、何に対してしているのか。
議長に対してなのか。議長席に対してなのか。議場という場に対してなのか。国旗や町旗に対してなのか。住民に対してなのか。それとも、昔からそうしているからなのか。
意外なことに、先輩議員に聞いても、人によって答えが違います。
「議長への礼だ」と言う人もいれば、「議場への礼だ」と言う人もいる。「国旗への礼ではないか」と言う人もいるし、「住民の負託に対するけじめ」と捉える人もいる。そして、「そういうものだから」と深く考えずに行っている人もいます。
私は、ここに違和感があります。
一礼が嫌なのではありません。礼を軽んじたいわけでもありません。
むしろ逆です。
礼は大事だからこそ、何に対する礼なのかを曖昧にしたくないのです。
一礼は、法的義務というより慣例に近い
制度の話をすると、議場入場時の一礼は、法律で全国一律に義務づけられているものではありません。
地方自治法には、議場の秩序や品位に関する考え方はあります。しかし、「議場に入るときは一礼しなければならない」といった細かな所作まで定められているわけではありません。
つまり一礼は、法的義務というより、各議会に根づいた慣例、礼儀、マナーに近いものです。
だからこそ、人によって意味づけがズレます。
明文化された定義がない以上、同じように頭を下げていても、込めている意味は人によって違う。外から見れば同じ動作でも、中身はそろっていない。
ここが、議場の一礼を分かりにくくしているところです。
一礼には、複数の意味が重なっている
では、議場での一礼には、どんな意味があるのか。
私は、大きく5つの意味が重なっていると考えています。
1つ目は、議長への敬意です。
議長は、議員の中から選ばれ、議場の秩序を保ち、議事を整理し、議会を代表する立場にあります。議長個人が偉いという話ではありません。議会を円滑に動かすために、議長という役割がある。その役割に対して敬意を払う、という整理です。
2つ目は、議場という場への敬意です。
議場は、町の意思決定に関わる公的な場です。そこでは、個人的な好き嫌いや感情だけで発言するわけにはいきません。住民全体の利益、将来への責任、制度上の手続き。それらを踏まえて議論する必要があります。議場に入るときの一礼は、「ここからは公の場に入る」という切り替えの所作でもあります。
3つ目は、国旗や町旗への敬意です。
議場の正面には、国旗や自治体旗が掲げられている場合があります。そのため、入場時の一礼を「国旗・町旗への礼」と捉える人もいます。これも十分にあり得る理解です。
ただし、一礼を「国旗への礼」とだけ整理すると、少し狭くなります。議場の正面には、国旗や町旗だけでなく、議長席があり、議場全体があり、議会という機関の重みがあります。そこに、住民から託された責任も重なっています。
つまり、議場の正面には複数の意味が重なっている。
だから、「何に礼をしているのか」の答えが人によって分かれるのだと思います。
4つ目は、住民の負託への敬意です。
議員は、自分一人の意見を言うためだけに議場に入るわけではありません。もちろん、個人としての考えや信念はあります。しかし、その前提には、住民から選ばれた代表であるという重みがあります。
議場に入るときの一礼は、「住民から託された立場で、この場に入る」という確認でもあるはずです。
5つ目は、自分自身へのけじめです。
議員は、普段から地域の人と話し、行政職員と話し、支援者とも話します。その延長で議場に入ると、どうしても日常の感覚を引きずります。
しかし議場では、一人の地域住民としてではなく、住民から負託を受けた議員として振る舞う必要があります。一礼は、外に向けたパフォーマンスではなく、自分の姿勢を正すための小さな儀式でもあると思います。
問題は、一礼することではない
ここで大事なのは、「一礼すること」自体を問題にしないことです。
私が気になっているのは、礼そのものではありません。
意味が共有されないまま、形式だけが続いていることです。
ある人は議長への礼だと思っている。ある人は議場への礼だと思っている。ある人は国旗や町旗への礼だと思っている。ある人は住民の負託へのけじめだと思っている。そして、ある人は何も考えていない。
これでは、市民から見ても分かりにくい。議員自身にとっても、形骸化しやすい。
礼は、形だけでは足りません。
もちろん、すべての所作を細かくルール化すればよいわけではありません。礼には、言葉にしきれない部分もあります。場の空気を整える。相手を尊重する。自分を律する。そういう曖昧さにも意味はあります。
ただ、議会は公的な場です。
市民に聞かれたときに説明できる程度には、意味を持っていた方がいい。
日本社会は、意味より形式が残りやすいのかもしれない
少し余談です。
日本社会には、意味がはっきり説明されないまま、形式だけが長く残ることがよくあります。
それは、長い歴史の中で積み重なってきた知恵なのかもしれません。神道的な寛容さのように、対象を厳密に定義しすぎず、場や自然や祖先や共同体に対して、ゆるやかに敬意を向ける感覚が影響しているのかもしれません。あるいは、対立を避け、まずは型をそろえることで場を保ってきた、日本社会の文化的な気質なのかもしれません。
もちろん、「日本人はこうだ」と雑に決めつけるつもりはありません。
ただ、神社での礼を考えても、似た構造はあります。
鳥居の前で一礼する。手水を使う。二礼二拍手一礼をする。多くの人がその型を知っています。しかし、その一つひとつの意味をどこまで明確に説明できるかというと、人によってかなり差があります。
それでも、型は残ります。
むしろ、意味が一つに固定されないからこそ、長く残ってきた面もあるのだと思います。厳密な教義や説明よりも、まずは場に入るときに姿勢を正す。頭を下げる。手を合わせる。そうした身体の所作によって、言葉にしきれない敬意や畏れを表す。
これは、日本的な儀礼の強さでもあり、弱さでもあります。
強さは、意味を細かく共有しなくても、場の秩序をつくれること。
弱さは、意味を問わないまま形式だけが残ると、いつの間にか誰も説明できない慣習になってしまうことです。
議場に入るときの一礼も、これに近いのかもしれません。
「昔からそうしている」 「そういうものだから」 「議長に礼をするものだ」 「議場に礼をしている」 「国旗や町旗に礼をしている」 「住民の負託に対するけじめだ」
どれも完全に正しい、間違いとは言い切れません。
だからこそ、曖昧なまま残りやすい。
でも、議会は神社とは違います。個人の信仰や感覚に委ねればよい場ではありません。議会は、公的な説明責任を負う場所です。議場で行われる所作は、市民から見られるものです。
だからこそ、形式を守るだけでなく、その意味を説明できる状態にしておきたい。
私は、形式を軽んじたいわけではありません。
むしろ、形式には力があると思っています。
だからこそ、その形式が何を守っているのか。何への敬意なのか。何を忘れないための所作なのか。そこを言葉にしておきたいのです。
私は、こう整理したい
議場入場時の一礼は、議長個人への礼ではない。議長に頭を下げるように見えても、それは議長個人への私的な敬意や、上下関係を示すものではありません。議会は、議長が偉くて、他の議員が下という場所ではないからです。議長も、議員の中から選ばれた一人です。議員同士は、基本的に対等です。
では、何に対する礼なのか。
私は、こう整理したいです。
議場入場時の一礼は、議会という公的な場、議事秩序、国旗・町旗を含む公的象徴、そして住民から託された職責に対する礼である。
そして同時に、自分自身の姿勢を正すためのけじめである。
議長の役割に敬意を払う。議場という公的空間に敬意を払う。国旗や町旗に象徴される公の重みに敬意を払う。住民から託された責任を思い出す。そして、自分自身に「ここからは公の議論に入る」と言い聞かせる。
そう捉えれば、一礼は古い形式ではなく、議員としての姿勢を整える所作になります。
礼を、ちゃんと礼として扱いたい
形だけを守るのではなく、意味を確かめる。慣習を否定するのではなく、今の時代に通じる言葉で説明し直す。議会の中にいる人にとっての当たり前を、外から見ても分かるものにしていく。
それが大事だと思っています。
「なぜ議場に入るときに一礼するのですか」と聞かれたら、私はこう答えたい。
議会という公的な場に入り、住民から託された責任を果たすため、自分の姿勢を正しているのです。議長席への一礼は、議事秩序への敬意であり、国旗・町旗を含む公的象徴への敬意であり、住民代表としてのけじめです。
このくらい言語化できれば、一礼は意味を持ちます。
議員になったら読むブログとして
議員になると、こういう「当たり前」にたくさん出会います。
議場での一礼。発言の仕方。議長への呼びかけ。委員会での作法。行政職員との距離感。会派内の空気。先輩議員との関係。
外から見ていたときには分からなかった小さな慣習が、実際に中に入るとたくさんあります。
そして、その一つひとつに意味があるものもあれば、意味が薄れて形だけ残っているものもあります。
だからこそ、議員になったら読むブログとして、こういう違和感を少しずつ言葉にしていきたいと思います。
議会の当たり前を、ただ受け入れるのではなく、壊すためでもなく、意味を確かめるために見つめ直す。
議場に入るときの一礼は、その小さな入口なのだと思います。
今回もご覧いただきありがとうございました。 阿見町の 筧田 聡 がお届けいたしました!
















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