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「当たり前」は、自分たちの内側でしか通じない

「暮らしと考え方」「当たり前」は、内側でしか通じない/誰が決めて、誰に効くルールか。黄色い巻き尺の円の内側に灰色のブロックが整列し、外側に色とりどりの形が自由に散らばるイラスト

 

どうもこんにちは!
茨城県 阿見町議会議員の 筧田かけひだ 聡さとし です。

自分たちで決めたルールが効くのは、自分たちの内側だけです。ずっと引っかかっていたこのことを、一度言葉にしておきたくなった、というお話です。議員としての提案ではなく、一人の働く人間としての考えとして書きます。

 

「普通は」「当たり前」「当然」のあとで、人が叩かれる

こんな場面を見たことはないでしょうか。

新しいやり方を持ち込んだ人に、「普通はそうしないでしょう」。
自分たちと違う進め方をした人に、「当たり前のことができていない」。
決まりの外で動いた人に、「当然こうするべきだ」。

自分や自分の組織が、自分たちで決めて守っているルールがあります。守ること自体は良いことです。ところが、そのルールの外にいる人が違うやり方をすると、やたらと嫌悪感を示し、「この人はあり得ない」とまで言う人がいます。

そういう人の言葉を並べてみて、気づいたことがあります。大抵、「普通」「当たり前」「当然」という言葉を使っているのです。

この3つは、自分たちのルールを、みんなのルールのように言い換えてしまう言葉です。

 

ルールが効くのは、決めた人たちの内側だけ

ここで言うルールは、法律や、皆で合意した決まりのことではありません。自分たちで決めて、自分たちで守っているルールのことです。

そうしたルールは、自分たちに適用されるものです。外の人は、そのルールに合意していません。にもかかわらず、それを持ち出して相手を叩くのは、ルールの範囲が見えていないということです。そのうえ相手に対してあまりにも失礼で、敬意が感じられません。

物事のやり方や進め方は、人それぞれです。違うやり方を見るたびに目くじらを立てていたら、相手が選べたはずの道は一本ずつ狭くなっていきます。

正直に書くと、そういう言動を見ると、私のほうが嫌悪感を抱いてしまいます。

ルールを決めて守るのは自由です。その我慢を外の人にまで払わせるのは、筋が違います。

 

叩く側の事情は「同じ我慢をしてほしい」

叩く側にも事情はあると思っています。

そのルールを、長いあいだ我慢して守ってきた。だから、外の人にも同じだけ払ってほしい。我慢は本物なので、その気持ちは分からなくもありません。

ただ、その先がありません。「同じ我慢をしてほしい」で止まってしまい、世の中をどう良くしたいのかが抜け落ちています。残るのは「自分たちが正しい」という感覚だけです。

 

効いているのは、上下関係の中にいた時間

多かれ少なかれ、多くの人がこれをやってしまうのだと思います。

私の見立てでは、効いているのは上下関係の中にいた時間の長さです。上下関係の中では、組織のルールが「当然」の顔をして上から下りてきます。それを長く受け取り、長く渡してきた人ほど、ルールがどこまで効くのかが見えにくくなるのではないでしょうか。

私がそうならずに済んでいるとすれば、上司と部下の関係を持っていないことが大きいと思っています。上下関係を嫌い続けた結果が、今の私です。

 

上に立つ人の「当たり前」は、聞く側にはルールになる

だからこそ、人の上に立つ人には、ここを分かっていてほしいのです。政治家やリーダーと呼ばれる立場の人なら、なおさらです。

上に立つ人が「普通はこうだろう」と口にすると、聞いた側はそれを、その場のルールとして受け取ります。外の人を叩くつもりがなくても、周りの人が同じ物差しで叩き始めることがあります。

人の上に立つ人ほど、自分のルールがどこまで効くのかを知っておく必要があります。

 

言われたら、その場で正す

私自身は、「軽く扱われることは認めない」という姿勢が普段から出ているようで、こうした場面はあまり起こりません。オーラ、と言うと少し大げさですが。

それでも言われたときは、その場でこちらのスタンスを伝え、「それは人に押し付けるものではない」と正すことが多いです。仕事の仲間でも、起業茶屋の参加者でも、同級生でも、相手によって変えていません。

分かってもらえるときもあれば、「それでも私はおかしいと思います」と返されることもあります。それでも、その場で言います。黙って流すと、相手との距離がどんどん開いていってしまうからです。人間関係として、それは避けたいと思っています。

その場で正すのは、相手と離れないためです。

 

退治したいのは、不当に自由を奪う言動

世の中から不当に自由を奪う行動や発言は、私にとって大きな敵です。しっかりと退治していきたいと思っています。これは私の信条なのかもしれません。

ただ、退治したいのは言動のほうで、相手との関係まで切りたいわけではありません。前の節で書いた「その場で正す」も、そのためです。

退治の道具は、大げさなものではありません。「普通は」と口にしかけたとき、一度だけ「このルールは、誰が決めて、誰に効くのか」と自分に聞くことです。私が手元に置いておきたいのは、この一問です。

新しいやり方が出てきた場で、「うちはこうしてきたけれど、そのやり方もありだね」と返ってくる。そんな場が一つずつ増えていけば、楽しく働ける人は、もっと増えるはずです。

あなたが最近「普通は」と言われた場面、あるいは言いかけた場面。そのルールは、誰が決めたものでしたか。

「この『当たり前』には困った」という場面があれば、ぜひ聞かせてください。

ご意見・激励等ございましたら、気兼ねなくおっしゃってください!

ご覧いただきありがとうございました。
阿見町の筧田がお送りしました。

 

参考資料

  • 本記事は筆者の経験と考えをもとに書いたもので、外部の資料は用いていません。

 

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