どうもこんにちは!
阿見町議会議員で、起業茶屋®主催の 筧田 聡 です。
正直に書きます。議員になる前、私は電話をほとんど使いませんでした。使わないどころか、かけてくる人を内心「迷惑だ」と思っていました。こちらの作業を勝手に止めて、要点も整理しないまま話し出す。用件ならメールで送ってくれれば、都合のいい時間に読んで返せるのに——と。
それが変わりました。正確に言えば、変わったのは電話への評価ではなく、電話の使い方のほうでした。
文字では動かない用件がある
議員の仕事は、ほとんどが「まだ形になっていない話」です。誰に何を聞けばいいのか。その人は前向きなのか。いつ動くのか。
輪郭のない用件を文字にすると、書く側は慎重になり、読む側は身構えます。結果、三往復して3日かかり、決まったのは日程だけ。そういうことが起きます。
同じ用件が、電話なら2分で終わることがあります。メールは「決まったこと」を運ぶのに強く、電話は「まだ決まっていないこと」を進めるのに強い。この使い分けを知らないまま、私は片方だけを握っていたわけです。
声には、文字に乗らないものが乗る
もう1つ気づいたことがあります。相手が言葉を選んだ一瞬の間が、そのまま情報になるのです。
「検討します」と書かれたメールからは、前向きなのか、やわらかく断られたのかが読めません。ところが電話だと、返事の前に半拍空いたかどうかで、だいたい分かります。分かれば、無理に押さずに引けます。押さずに引けた相手とは、次にまた話せます。
窓口でも、集会所でも、電話でも同じです。声のほうが早く、そして優しい場面が確かにあります。
なぜ、電話の使い方を書く人がいないのか
ここで不思議に思ったことがあります。電話を否定する文章はいくらでも見つかるのに、使い方を具体的に書いた文章はほとんど見かけません。
理由はおそらく3つです。
1つ目。否定側だけが、短くて切れる主張を持っています。「電話は非効率」は一文で終わり、そのまま拡散する。対して擁護側は「ケースバイケース」に落ちてしまい、記事の形になりません。
2つ目。電話が効いている人ほど、言語化していません。日常の勘でやっているので、書く動機がない。
3つ目。議論がすぐ世代論に回収されます。昭和的か否か、若い人はどう感じるか——そこへ流れた瞬間、技法の話は終わります。
面白いのは、電話を強く否定する人ほど、自分からはかけているという話をよく聞くことです。矛盾しているようで、たぶん矛盾していません。この主張は受ける側の実感しか語っていないからです。かける側に立てば、電話は単に一番早い手段になる。私も同じでした。否定していたのは電話ではなく、自分の時間を勝手に止められることだったのです。
つまり争点は道具ではありません。どちらが時間を差し出しているか。ここから先は、擁護論ではなく技法の話をします。
迷惑な電話と、そうでない電話を分けるもの
かける側になったとき、私はこの一言を最初に置くようにしました。
「今、3分大丈夫ですか?」
「何分くらい大丈夫ですか」と相手に聞くのではありません。こちらが所要時間を言うのです。3分と言えば、相手は3分の覚悟で聞いてくれる。10分と言えば、いま無理なら「後で」と返せる。相手は自分の時間を差し出す前に、差し出す量を知ることができます。
そしてこれは、相手のためだけではありません。かける前に分数を決めると、話す内容が自分で勝手に整います。3分と宣言した瞬間、3分に収まらない話が自然に削られる。要点をまとめてから電話するのではなく、分数を先に決めることで要点が立つ。順番が逆だったのです。
受けるときも同じです。この後に予定がある、あるいは長くなりそうだと感じたら、話の終盤ではなく早い段階で伝えます。「すみません、あと5分ほどで出なければならないのですが」と最初に言えば、相手は要点から話してくれます。終わりかけに言うと、相手は「切られた」と受け取ります。同じ内容でも、順番だけで意味が反転します。
礼儀の話をしているのではありません。時間の枠は、会話の設計図です。枠がないから電話は長引き、長引くから迷惑になる。枠のない電話が迷惑だった。それだけのことでした。
白状すると、これはゲームになっています
宣言した分数のなかで、本当に終わらせられたか。実はこれ、私のなかでは精度を上げ続けるゲームになっています。
判定は少し厳しめで、宣言した分数の1分前の範囲で切れたら合格。「3分大丈夫ですか」と言った通話なら、2分台で終わったかを毎回見ます。最初はあまり当たりませんでした。話しながら論点が増え、気づけば倍。それでも続けているうちに、だいたい当たるようになってきました。
面白いのは、通話中はこの分数のことをほとんど忘れていることです。時計を見ながら話しているわけではない。鍛えているのは通話の切り上げ方ではなく、かける前に「この話は何分か」を直観で言い当てる力の方です。宣言する前に、3分の形なのか10分の形なのかが、先に見えるようになってきました。
予告した分数を守れる人は、次もその分数をもらえます。「あの人の5分は5分で終わる」という評価は、地味ですが確実に効きます。逆に、毎回倍になる人の「5分だけ」は、次から誰も真に受けません。時間の宣言は、守るたびに信用が貯まる約束なのだと思います。
——なお、過去に私が外して伸ばしてしまった皆さま。この場で申し上げます。すみませんでした。いま鍛えているところです。
それでも、かけるのは緊張します
念のために書いておくと、私はいまでも電話をかける前に少し身構えます。相手の時間を止めることに変わりはないからです。
ただ、切った後に「電話でよかった」と思う回数は、明らかに増えました。3日かかるはずだった話が、その場で前に進む。声を聞いて、次の一手が決まる。30秒の確認から始まる2分の通話が、いちばん仕事を動かしています。
かけるのをためらっている用件が、いま手元に一つでもあるなら。「今、3分大丈夫ですか」から始めてみてください。この10文字は、電話をまったく別の道具に変えます。
おまけ|「もしもし」は予告から始まっている
電話が日本に来た当初、かける人は交換手に「おいおい」「こらこら」と呼びかけていたそうです。当時、電話を使える立場の人が普段使っていた言葉が、そのまま出ていたのだとか。
対して交換手のほうは、失礼のないように「これから申し上げます」の意で「申し申し(もうしもうし)」と返していた。これが縮まって「もしもし」になった、という説が有力です。二度繰り返したのは、当時の回線が雑音だらけで聞き取りにくかったためだとされています。
つまり日本の電話は、始まりの一言が「これから申し上げます」という予告だったわけです。名乗りと前置きから入る文化が、そのまま音になって残っている。「今、3分大丈夫ですか」も、案外その延長線上にあるのかもしれません。
「その電話、結局どうなったの」という話がありましたら、ぜひ聞かせてください。
ご意見・激励等ございましたら、気兼ねなくおっしゃってください!
ご覧いただきありがとうございました。
阿見町の筧田がお送りしました。














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