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鹿島神宮ガイド

鹿島神宮 楼門
鹿島神宮 楼門

【 鹿島神宮メモ 】

神武天皇元年の創建
皇紀と同じ2679年の歴史を持つ関東最も古い社 (2019年現在)

鹿島神宮は、神武天皇が即位した際に、建国に貢献した建御雷神をお祀りするために建てた社
全国にある鹿島神社の総本社
初期の表記は香島神宮
常陸の國一之宮 (※一ノ宮:地域の中で最も社格の高い神社)
境内の広さは東京ドーム15個分に及ぶ
境内は国の史跡に、本殿・拝殿・楼門など社殿7棟が国の重要文化財に指定

鹿島神宮の祭神「武甕槌神」(タケミカヅチ、建御雷神)

日本神話最強の武神
勝利の神様
※日本神話で大国主の国譲りの際に活躍
御利益: 武運長久

日本3大神宮

初めて神社の格式が決まった平安時代の延喜式 [えんぎしき] から、
伊勢神宮の他に神宮と呼ばれていたのは「鹿島神宮 (茨城県)」「香取神宮 (千葉県)」だけ

この3社は「最も伝統のある神宮」
※「伊勢神宮」の正式名称は「神宮」
※神宮と言われる神社は20幾つか有るが、最初から神宮と言われていたのは3社だけ
※他の神宮 (例:「明治神宮」「熱田神宮」「北海道神宮」) は、幕末・明治以降に命名された

神話

は共に「剣の神」 (武神) で、出雲国に出向いての強談判 (こわだんぱん) の結果、大国主命に「国譲り」をさせることに成功

武甕槌命、香取神宮の経津主命と共に天孫降臨に先立ち、先遣隊として鹿島市の明石の浜から地上界に降臨し、それまで日本を支配していた大国主神から国譲りの約束を取り付けた、神話時代の外務大臣。また、それに納得しなかった弟の建御名方神 (タテミナカタ) が反抗すると圧倒的な強さで討伐した防衛大臣でもある。その強さから日本神話最強の武神、勝利の神様と呼ばれ、現代でも多くの武道場に鹿島大明神の掛軸が掲げられている。

武甕槌神たちの日本平定後、天照大神から使わされた神話時代の首相瓊瓊杵尊 (ニニギノミコト) をはじめとした多くの神が高千穂に降臨し、皇室 (の先祖) による日本国がはじまりました。武甕槌神は任務終了後、鹿島神宮に祀られ、武甕槌神たちの降り立った鹿島市の明石海岸には、鹿島神宮の「東の一の鳥居」がある

相撲の起源

建御雷神 (タケミカヅチ) は天から降りてきた側の力持ちの神
地上を守る側の力持ちの神である建御名方神 (タケミナカタノカミ) を闘いで圧倒
この世界をアマテラス側のものにする契機を作った存在
↑この闘いが相撲の起源となる

地理的状況

鹿島神宮 (茨城県) と高千穂神社 (宮崎県) を結ぶ直線上には、伊勢神宮、富士山、明治神宮、皇居が並び、正に日本と皇室を象徴している。

夏至の日に太陽が、この鳥居から西に進むことから日本最長級のレイライン (光の道) とされ、その入口にあたることから鹿島神宮が「すべての始まりの地」と呼ばれている。
このことから鹿島神宮は、人生の転機や新しいことを始めるとき、願望実現に向けた人生転換のターニングポイント作用を持ち、勝利の武神により邪魔するものをはねのけ進む力を授かることができるパワースポットとして参拝する方も多い

鹿島神宮の一の鳥居

古くは東西南北に4基があったが現在は東西南の3基

鹿島神宮の西の一之鳥居

平成25年6月に竣工
平成26年 (2014年) の御船祭に向けて、改めて水上に建て替えられた
水底からの高さ18.5m、幅22.m
旧鳥居の約2.5倍
水上鳥居としては日本最大級の鳥居
厳島神社は16m
新日鐵住金㈱が威信をかけて作ったサビに強い耐候性鋼材を使用
夕焼けも綺麗
地名 ▷ 大船津
鎌倉時代に埋立工事が行われ、鹿島神宮の玄関口として、参拝者の船着場となっていた
江戸時代、歌川廣重の「六十余州名所図會」で水上鳥居の景観が描かれた

御船祭

12年に1度、鹿島・香取両神宮の神が再開を喜び合う祭事
次回は2026年 (令和8年) に開催

旧参道

旧参道には大化の改新を断行した藤原鎌足の生家が在ったとされる下生 (しものう) 鎌足神社がある
大船津界隈は水運による経済・文化の要衝として発展した

鹿島神宮の南の一の鳥居

古くは神栖市日川にあった
現在は息栖神社の一の鳥居が代用

鹿島神宮の北の一の鳥居

神戸原にあったが失われていた
2017年 [平成29年] に戸隠神社 (鹿嶋市浜津賀) 前に新たに建てられている

大鳥居 (二の鳥居)

倒壊前、御影石の大鳥居

茨城県笠間市稲田産の御影石製
昭和43年に完成
国産花崗岩の鳥居としては日本一だった

東日本大震災による大鳥居の倒壊

鹿嶋市では震度6弱の揺れを観測し、大鳥居の根本部に亀裂が発生
30分後の大きな余震により倒壊に至る
早急な避難誘導が行われ倒壊による人身の被害はなかった

鹿島神宮境内の杉4本を切り出し、山形県酒田市の木工場で加工
平成26年6月1日、震災から3年の時を経て、現在の木製の大鳥居が完成

鹿島神宮 大鳥居 二の鳥居

楼門

日本三大楼門の1つ ▷ 鹿島神宮 (茨城県) 、筥崎宮 (福岡県) 、 阿蘇神社 (熊本県)
国指定重要文化財
高さ13m
1634年 [寛永11年]、 水戸初代藩主徳川頼房の造営・奉納
扁額は東郷平八郎の直筆から削り出した
※左側に名前もあったが、天皇家が参拝するため消されたとか。
緑豊かな6月には朱色の鮮やかさが際立つ

須賀社の猪目灯籠

石灯籠は楼門脇にある手水舎 (てみずや) の手前を左に入った須賀社にある
ハート形に見えるが、イノシシの目に似ていることから「猪目 (いのめ)」と呼ばれる日本の伝統的な文様
灯籠を造られた年代は不明

神社や寺院の日本建築に多く見られ、刀のつばの装飾にも使う
古すぎて意味合いが諸説あり正確なところは分からないが魔除け・火除け・幸福の意味が込められている
※イノシシは火伏せの神さまの御使い
※ハート形の裏は……

猪目灯籠 ハート形

社殿 (本殿)

お参りは「二拝」「二拍手」「一拝」のこと

徳川二代将軍秀忠が1619年 (元和5年) に寄進した社殿 (家康が建てた14年後に建て替えたもの)
拝殿は檜皮葺 (ひわだぶき) の屋根
元々は20年毎に造営されていた
本殿は正面からは拝めないが、斜めから覗き見ると、朱色に鮮やかな桃山期の金色・極彩色の装飾が施されている

蝦夷地征伐の重要な軍事拠点

鹿島神宮は香取神宮と並んで、朝廷の蝦夷地征伐の重要な軍事拠点
社殿が神社としては通常ありえない北向き
古代、朝廷から蝦夷の平定神として、また藤原氏から氏神として崇敬
その神威は中世に武家の世に移って以後も続き、歴代の武家政権からは武神として崇敬
現在では、武道で篤く信仰される神社となる

鹿島神宮 社殿 本殿

高房社

本宮の社殿正面に鎮座している摂社
本殿に詣でる前に高房社に参拝するのが古くからのしきたり
現在の社殿は1619年 (元和5年) の本殿造替とともに造営された

祭神 ▷ 建葉槌神

まつろわぬ神「天香香背男」の討伐において武甕槌神によって派遣され活躍したと日本書紀にある神

御神木

高さ40m、幹周り9m (根回り12m)、樹齢約1200~1300年と推定される杉

奥参道

拝殿の先からは両側に樹齢1000年以上の杉の木が並び立つ鎮守の杜

奥参道は武甕槌神の穏やかな魂と荒ぶる魂へと向かう道と云われ、目標に向かう気持ちを向上させ、勝負への決断・行動力を倍増させる

三笠山(みかさやま)

鹿島神宮が鎮座する地の呼び名
境内は日本の歴史上重要な遺跡であるとして国の史跡に指定
(摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)

鹿島神宮樹叢

境内の広さは約70ha
40haは鬱蒼とした樹叢
茨城県指定天然記念物に指定
樹叢には約800種の植物が生育、北限・南限の植物も自生
神宮の長い歴史を象徴するように巨木が多く、茨城県内で随一の常緑照葉樹林

奥馬場

奥参道では、毎年5月に流鏑馬神事が行われている

鹿園

30数頭の日本鹿がいる

※鹿の角は英語で「antler (アントラー)」 ▷ 鹿島アントラーズのチーム名の由来になっている

奈良の春日大社

現在の春日大社の鹿は、春日大社の創建時 (767年) に鹿島大神を御分霊する際、白い鹿の背に乗せて運んだ鹿の子孫と云われている
鹿島神宮にいる鹿は奈良 (春日大社) の鹿の祖先にあたる

神話と鹿の関係

鹿島神宮の祭神である武甕槌命 (タケミカヅチノミコト) ところに、天照大神 (アマテラスオオミカミ) から使者が来て、「香取神社の祭神、経津主命 (フツヌシノミコト) と共に出雲の国へ行って、大国主命に、出雲国を自分 (天照大神) に譲るように説得してきなさい」とのことだった。この時の天照大神の使者、天迦久神 (アメノカグノカミ) は、鹿の神霊だったとされ、これに因んで、鹿島神宮の神使 (神の使い) は鹿とされる

 

奥宮 (おくのみや)

荒ぶる魂の象徴的なスポットで、勝負へのエネルギーが充満した強力なパワースポット

元々は徳川家康が関ヶ原の戦いにおいて天下を取ったことから本殿として1605年 (慶長10年) に奉納したものを、二代将軍秀忠が現在の本殿を造営した1619年 (元和5年) に、現在の場所に遷した (=旧本殿)
程よく苔むしていて風格・神気が漂う

祭神 ▷ 武甕槌神荒魂
本宮本殿同様に北面して鎮座している

御手洗池

鹿島神宮 御手洗池

#御手洗池

神話の時代に一晩で湧き出し、以来、干ばつがあっても枯れたことが無い奇跡の池として信仰
古くは西の一の鳥居がある大船津から舟でこの地まで進み、御手洗池を参道の出発点として、ここで禊をしてから参拝した
1日40万㍑以上の水が湧き出している
長い時間をかけて大地から染み出すという水は透明で美しく、水中を泳ぐ鯉の姿もくっきりと見える
鳥居に倒れ掛かっているのは御神木でシイノキ
見る角度によって龍の形に見える ▷ フォトスポット♪
水をたくさん吸い上げて重さに耐え切れずに傾いたのだと考えられている
誰かと行く際は池の反対側から撮影すれば人の姿が水面に映って神秘的
現在は年始に200人もの人々が大寒禊を行う
癒し・清めのスポットとして有名

御手洗池には大人が入っても、子供が入っても水位 (水深) は乳を越えないと言われている (鹿島神宮の七不思議の1つ)
※他七不思議は「松の箸」「末無川」「海の音」「根上り松」「鎌足藤」がある

一休 (池の隣の食事処)

鹿島神宮のご神水は「長命の名水」と云われる
※御霊水はこちらで購入できる

この天然水を使用して様々なメニューを提供 ▷ 手打ち蕎麦、地酒、抹茶、湧水コーヒー
名物は池の名前に由来する「みたらし焼きだんご」
※湧水で作った味噌を使用
※この場で焼いているので熱々の団子が食べられる

ここの鮎は1年間で1万匹売れるとか…… (単純計算で1日27匹)

要石

地震を起こす大鯰 (ナマズ) を押さえる杭

香取神宮の要石と一対
鹿島は頭を、香取は尻尾を押さえる
石の形は鹿島神宮が凹型、香取が凸型

かつて水戸光圀公は石の大きさを確かめようとした
7日7晩、要石の周りを掘らせたが穴は翌朝には元に戻ってしまい、いつまで経っても根元に辿り着くことができなかったばかりか、怪我人が続出したために掘ることを諦めたと云われている
※「黄門仁徳録」参照のこと

神無月 (旧暦10月) に起きる大地震のいくつかは、鹿島の神が出雲に出向いて留守のために起きたと云われている

※先週 (2019年10月中旬) はスズメバチの巣があって見れなかったそう

 

鹿島神宮の摂末社は境内に摂社3社、末社8社ある

鹿島神宮の境内摂社

三笠神社(みかさじんじゃ):祭神=三笠神
本殿の東脇に鎮座
神社の由来は祭神も含めて古来定かでない
奈良の三笠山との関係を指摘する説もある

鹿島神宮の境内末社

須賀社(すかのやしろ): 祭神=素戔嗚命
津東西社(つのとうざいのやしろ) :祭神=高龗神・闇龗神
祝詞社(のりとのやしろ):祭神=太玉命
熊野社(くまののやしろ) :祭神=伊弉諾命・事解男命・早玉男命
稲荷社(いなりのやしろ) :祭神=保食神
熱田社(あつたのやしろ) :祭神=素戔嗚命・稲田姫命
御厨社(みくりやのやしろ) :祭神=御食津神
大黒社(だいこくのやしろ) :祭神=大国主命

摂社:その神社の祭神と縁故の深い神を祀った神社
末社:それ以外のもの
※格式の高さ ▷ 本社 < 摂社 < 末社

関連情報

国譲り神話、国譲り宣言後……

大国主命が国譲りを宣言後、その指示に従わない神がいた。
従わない神を、武甕雷神と経津主神は岐の神の道案内で成敗して回った。
最後まで抵抗した神 (難敵) 、天香香背男 (あめのかがせお) を、建葉槌命が成敗した事で日本平定は完成した。

東国三社

香取神宮 (千葉県香取市)

千葉県の一ノ宮
利根川を挟んだ千葉県香取市にある
建御雷神と同行した経津主神 (フツヌシノカミ) を祀った神社
経津主神は刀剣が神格化した存在
「鹿島神宮」と「香取神宮」で一対となる神宮
観光向けによく整備されている
鹿島神宮と香取神宮の関連点 ▷ 神使いの鹿園

息栖神社 (茨城県神栖市)

鹿島神宮の摂社
建御雷神 (タケミカヅチ) を先導した岐の神 (クナド) を祀っている

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ABOUT US
筧田 聡 ❀ 阿見町
NPO法人地域知見LIVE 理事長, ㈱Key-Performance 創業・代表取締役, 起業茶屋® 主催, 弓道弐段, サザン好き, 茨城県観光マイスターS級 認定「大きな愛、たくさんの笑顔、熱い情熱をもって、互いの人生を輝かせるために働き続ける!」