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都市開発のあとで『ひたち野うしく』を振り返ってみる

 

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紫⇒常磐線、赤⇒ひたち野うしく駅、ピンク⇒国道6号線、黄土色⇒県道25号線、オレンジ⇒西大通り(県道274号)

 

この写真の範囲は、ほぼ街になりました。

駅ができて、道路ができて、区画が整備されて、公園ができて、家が立って、警察署ができて、お店が始まって。

車が停まって、洗濯物が干されて。

子供が生まれて、小学校ができて。

 

 

むかーしむかし、豚がいて臭かった(笑)

まだひたち野うしく駅がない頃。その場所に歩道橋があってそこから電車を見るのが好きでした。母や父に、自転車で連れて行ってもらった記憶があります。写真中央の辺り、オレンジ点で上から3つ目のところに豚を飼っている小屋が並んでいました。脇を通る度に臭くて(笑)

ヴぃぃぃぃーって鳴いてましたよ。彼らは。その度に臭くて(笑)

 

床屋のおばさんお姉さんの爪が痛かった(笑)

まぁおばさんなんですが、髪を洗う時に爪が痛かったのを覚えています。また小さい頃は髪を洗われるのが嫌で、溺れかけたことがあります。それが振りだったのかは思い出せません。

そう言えば、左足を自転車の後輪のフォークに絡めてしまったことがあります。痛い痛い!軽く骨まで…今でも傷跡は残っています。母親にサンダルでは行くなって言われたのに、サンダルで行ったので、バチが当たったのかもしれません。床屋の後だったのでさっぱりして、足をぶらぶらさせていたんですね。分かります。

 

どうしても思い出せない道

そもそも、この写真を引っ張り出してきた理由は、世界のつながりが分からなかったからです。世界というのはひたち野うしくになる前のひたち野うしくの世界のことです(笑)都市開発には大きな力があって、一帯の土地の高さが3mほど下がったように思います。

最初に4車線の道路ができた時なんでこんなに低くするんだろうと思いました。そうやって土地が分断されて、気づけば表面は削られ、跡形もなく、記憶からも消えていきました。

 

あなたの住む家はどんな土地にありますか?

ちょっと『平成狸合戦ぽんぽこ』のラストシーンを思い出しました。

木々が生い茂る土地が、パワーショベルでほじくられ、ダンプが入り、ブルドーザーで均される。見える世界や感じる空気が、いとも簡単に変わっていく

これが良いことなのか悪いことなのか。正直に言うと、わからない。

 

知らぬ間に森や川まで無くなっていた

何年か振りに、長期休暇を利用して帰省したら、無くなっていた地元感。そんな方も多いのでは?

小川はU字溝が埋められて、ザリガニも水草もカエルちゃんもいなくなった。そもそも水面まで高さがあり、人が入れなくなった。

秘密基地と称していたずらをした森も、その木陰も、葉っぱを揺らす微風も、ナンバーのない車も、すべて処理されていた。

 

変えるもの、変えないもの

もっと選ばなくていいのか?

どこを変えて、どこを残すのか。この土地の拠り所は、これまで住んでいた者ではなく。次の住民が決めることになったようだ。

この土地はだれのものだろうか?土地は所有できるのだろうか?

わたしの中で、ひたち野うしくの歴史は、重い。

都市開発』がなければ、考えることもなかっただろう。

 

都市開発のゴールが見えてきたひたち野うしく
都市開発のゴールが見えてきたひたち野うしく

 

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ABOUT US
筧田 聡 ❀ 阿見町
NPO法人地域知見LIVE 理事長, ㈱Key-Performance 創業・代表取締役, 起業茶屋® 主催, 弓道弐段, サザン好き, 茨城県観光マイスターS級 認定「大きな愛、たくさんの笑顔、熱い情熱をもって、互いの人生を輝かせるために働き続ける!」